僕と海鼠
僕はある男と今日もとあるバーで夜を明かしていた。
但し熱いウーロン茶を飲みながら--。
「ほんといいよ、熱いウーロン茶のほうが。ビールだウィスキーだカクテルだなんて、ああいうのは全部子どもの飲み物だよ」
こう語る男の本名はわからない。
そうだな、仮に『海鼠(なまこ)』 としておこうか。
バーテンの『C』は例によってオネエ言葉を使う--わけではなかった。
なぜ『C』と呼ぶのかというと、単純に本名がわからなかったからだ。
「このバーに閉店時間はないのかな」
僕はCにそうたずねた。
「閉店時間なんていう『実存的なもの』は、ありません」
Cは毅然としてこう答えた。
そして半分禿げ上がった頭を指先で軽くこすり、手を洗いに奥に引き下がった。
海鼠はホットウーロン茶から柿の種に関心が移ったようで、小皿に盛られた亀田製菓の柿の種をひたすらポリポリかじっていた。
もちろん、ピーナッツが--入っていなかった。
「ねえ、ひとつ批評的な話をしてもいいか」
そう海鼠に言って僕はお猪口に熱いウーロン茶を注いだ。
2秒と経たずにお猪口は熱いウーロン茶であふれた。
「なんだい? 批評的な話って」
「俺達が子どもの頃、いちばん印象的なテレビ番組は何だっただろうか?」
「それのどこが批評的なんだよ」
僕は黙ってかぶりをふった。
海鼠は柿の種の皿を空にしてしまった。
「そうねえ……」
海鼠は3割ほど真剣な面持ちになって、一呼吸おくと、こう答えた 。
「1995年から1998年に期間を限定しないか」
「そりゃまたどうしてだい」
「知り合いにこんなやつがいるんだ--。
『1995年から1998年までが人生でいちばん楽しかった』ってやつが」
「そりゃまたなんで」
「夕方のテレ東アニメがびっくりするくらい充実していたからだ、って」
「共感できないよ。都会特有の悩みじゃないか」
しがない地方都市であり、真夜中は歩行者用信号の灯りすら消えているのだった。
「『爆れつハンター』……、
『セイバーマリオネットJ』……、
『マスターモスキートン’99』……」
自然数を数え上げるように、海鼠はアニメの作品名を読み上げた。
「それって全部あかほりさとるが関わってるじゃん」
「都会っ子なんだよ。だから我慢が効かないんだ」
「『RCカーグランプリ』」
「出し抜けになんだい、もしかしたら『RCカーグランプリ』が、おまえさんが1995年から1998年の間でいちばん好きだったテレビ番組なのかい」
「アニメを抜きにしたらーーそうかもしれない」
Cが戻ってきた。
「人間の欲望というものは恐ろしいですね」
海鼠が空にした柿の種の小皿を見てCは言った。
僕と海鼠はそれを聴いて爆笑してしまった。
「また柿の種をつぎ込みましょうか?」
「いや、いいんだ」
海鼠はCの申し出を辞退したあとで、さらにこう言った。
「いつかルーレットでも置いてくれないかな」
「こら、日本でカジノはまだ違法じゃないか」
「ピンボールのほうがよろしいのではないでしょうか?」
「いや、ルーレットかトランプがいい」
「だからカジノはまだ違法だって」
「金を賭けたいわけじゃないし、酒が飲みたいわけじゃない。でも俺は毎晩ここに通っている」
--Cと僕はそれを聴いて、異口同音に「それは、多分に実存的なテーマだな」という風な趣旨のことを言ったのだった。
夜の端っこが白くなった。