死ぬまでオタク

(基本的に)テレビとアニメしか観ません

『魔法陣グルグル』(初代)放映時に日本社会でなにが起きていたのか

 テレビせとうちでは、『魔法陣グルグル』を火曜深夜に放映しているが、やはり深夜まで起きていることができず、23年に渡っていまだアニメ『魔法陣グルグル』を視聴することができていない。
「23年に渡って~」といきなり書いたので、おまえたちは戸惑っているかもしれない。おれが「23年に渡って~」と言ったのは、漫画『魔法陣グルグル』がはじめてアニメ化されたのは1994年だからだ。ニケが瀧本富士子、ククリが吉田古奈美だったと思う。

 おれが『魔法陣グルグル』について知っていること。
 原作の単行本は1冊だけ先輩が持っていたのを読んだ。ほんとうにニケの魔法が尻から出ていた。94年のアニメ版に関しては、ニコニコ動画を中心に特に奥井亜紀の楽曲が人気が高く、主題歌だけは盛んに耳にしていた。監督の中西伸彰は、『恋姫†夢想』の監督という印象のほうが強かった。
 そもそも94年版はABC朝日放送発テレ朝系全国ネットであり、テレ朝系放送局が存在しない山陰地方では付け入る余地がなかった。以来23年に渡ってこの作品の本編映像を観れずじまいだ。新作、キタキタ親父の声優は据え置きでも良かったんではないか。

 じつは、『魔法陣グルグル』がメインの話をするつもりはない。『魔法陣グルグル』の最初のテレビアニメが放映されていた時代、どんな「世相」だったかについて語りたいのだ。
 
 おれは作家論は死ね! と思っているが、アニメ作品と当時の「世相」を絡めるのは大好き。かつて所屬していたサークルで、「アニメと世相」という発表をやった。しかしこの発表には不備も多く、柳美里さんにツイッターで名前を出されたのが恥ずかしかった。

 Wikipediaによれば、『魔法陣グルグル』(第1作)は、1994年10月13日に放映開始された。木曜のゴールデンタイムである。ちなみに4日後には『魔法騎士レイアース』(よみうりテレビ)が全国ネットで始まっている。
 それでは1994年10月前後に起きた社会的事象とはなにか。


 まず1994年6月、松本サリン事件が起きた。これはオウム真理教の犯行だったが、それが明るみに出されたのは地下鉄サリン事件の後だった。平成を代表する冤罪事件のひとつであり、無関係な人が報道被害を受けた事件のひとつである。
 同月、村山富市内閣が発足。おれが最初に認知した総理大臣は村山富市だった。
 8月。「FNSの日」番組終了直後、ビートたけしがバイク事故を起こす。当時おれは6歳だったが、たけしがあわや死にかけたことは鮮明に記憶の残滓となっている。
 9月。関西国際空港が開港。オリックス・ブルーウェーブイチローが、200本安打を達成。
 野球の話題をさらに加えるなら、この年槙原寛己完全試合を達成した。いわゆる10.8で長嶋茂雄読売ジャイアンツ高木守道中日ドラゴンズが優勝決定戦を行い、巨人が勝ってリーグ優勝を決めた。日本シリーズ。当時は昼間にも試合が行われており、保育園の昼寝の時間に保母さんがテレビ中継を観ていた。やはり巨人が日本一となり、西武の森監督が勇退した。
 10月13日(『魔法陣グルグル』がはじまった日)は、大江健三郎が日本人二人目のノーベル文学賞を授賞した日でもあった。軽い大江フィーバーみたいなものが起こり、純文学を基本受けつけないおれの親父も大江の著書を買っていた。ちなみにこの年は村上春樹の『ねじまき鳥クロニクル』の第1部と第2部が刊行された年でもある。

 

魔法陣グルグル』放映中のおもなトピック。

 

 11月22日、セガサターン発売。
 12月3日、プレイステーション発売。
 12月4日、ボクシングで薬師寺保栄辰吉丈一郎が王座決定戦。平成期もっとも国民的な注目を集めたボクシングの試合である。
 1995年1月17月、阪神・淡路大震災が発生。
 1995年2月、野茂英雄MLBドジャースに入団。
 3月20日、地下鉄サリン事件が発生。
 4月9日、青島幸男東京都知事選挙横山ノック大阪府知事選挙で当選。
 4月23日、オウム真理教の村井秀夫が暗殺。
 5月16日、オウム真理教教祖麻原彰晃松本智津夫)逮捕。テレビでは「Xデー」とか呼ばれていた。

 

 ここまでが『魔法陣グルグル』放映中の主な事項である。「ああ、大学生のときの発表の頃から、まるで進歩してないな」と思う。しかし『魔法陣グルグル』は、こんな世相のもとで放映していたのである。おまえたちには当時の世の中の空気を想像してもらいたい、それが本当の「想像力」なのだと思う。