死ぬまでオタク

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【wiki同】【テレビ】【関西キー局】『プロポーズ大作戦』講義

プロポーズ大作戦 (バラエティ番組) - Wikipedia

 

講師:KR(東京支部

 

たとえば、『ブリタニカ百科事典』なんかには、『プロポーズ大作戦』やら『ラブアタック!』やら、日本の関西地方のテレビ局が作った番組の項目なんかないわけですし、そもそもテレビ番組の項目がございません。

 

なのでWikipedia日本語版が最大限に効力を発揮するのが、テレビ番組に関する情報のストックなわけです。

もちろん情報はときに眉唾、ときに玉石混淆なのを免れないわけですが、そもそもがテレビ番組なんてのは宙に浮いたものなわけで、ソースの信ぴょう性もくそもない、ならばハナっから話半分だと思って、でも半分本気にしてみようぜ! っていうのが、当会「ウィキペディア同好会」における意気込みなわけです。

 

で、前口上が長すぎるとかならず時間が足りなくなるので『プロポーズ大作戦』行きたいわけですけど、これはABCテレビ、つまり大阪の放送局が作ったテレビ番組なわけで、つまり関西発祥の番組ですから、ぎゃくに関東の人間が講釈するほうがフェアなわけです。その根拠は、やっぱり時間の都合上ここでは説明しません。まぁ根拠をウダウダ述べるよりも行動で示したいなおれは。

ということで東京支部で包括的な事項でなく、包括的な事項だったら「総裁」が担当するわけですが、今回は『プロポーズ大作戦』という具体的な民放の番組を講義しようとするわけですから、ぼく即ち「KR」がやるというのが原則です。

 

繰り返すようですが「講義」という大それた名前でも、Wikipediaをダシにするだけなんですが、けっこう市販のダシの素でも、存在を完全否定される筋合いもないでしょう。

 

本題に行きます。

プロポーズ大作戦』、バラエティ番組です。一昔前に【プロポーズ大作戦】という同名のドラマがやっていたようですが、あきらかにオリジナルは朝日放送ABCテレビ)が作ったこのバラエティ番組でしょう。

 

でですね、放映開始が1973年4月なんです。そう、1973年なんですよ。日本におけるテレビ放送の歴史が好きなかただったら、ピンとくると思うんですけど、当時、朝日放送、現在のABCテレビなわけですけど、関東地方でのキー局は、TBSなんです。だから60年代後半の『ウルトラマン』で大阪タワーが出てきたりするわけですが、それはまた別の話。ともかく73年の時点では、大阪でABCにチャンネル回すと、ゴールデンタイムはTBSの番組多かったでしょう、ほら、『8時だョ!全員集合』、いわゆる『腸ねん転』、ねじれネットが解消されるまえに『全員集合』始まってるんですから、73年の時点では土曜夜8時にABCにチャンネル回したら『全員集合』なわけです。ババンババンバンバン、MBSじゃなかったの。

 

ただ『プロポーズ大作戦』はABCとねじれネット組んでたTBSでは放送されなかったってWikipediaには書いてありましたね。この番組、じつはABCでも始まって2年以上23時台、この当時の23時台ですんでバリバリの「関西ローカル」の「深夜番組」だったと。

 

75年4月改編で「MBSーTBS」そして「ABC―NET」っていうネットワークに再編成されて、NETってのはいまのテレビ朝日です、で8ヶ月ぐらいして、栄転ですよ栄転、なにが? 『プロポーズ大作戦』の枠が。1975年12月2日ってwikiには書いてありました、その日に毎週火曜22時台の1時間番組になって、しかも全国ネット化しました。そこから全国区の、関西発の番組になってくるわけです。

 

というわけで、『プロポーズ大作戦』の放送枠は、火曜22時からの1時間枠というイメージで浸透してるんではなかろうか。基本的にはそういう考え方でいきましょう、

 

プロポーズ大作戦』→火曜22:00~22:54

 

で、75年12月2日にようやく番組のフォーマットもさだまって、放映が終わるのがずっとあとの85年3月26日です。

 

プロポーズ大作戦』放映終了:1985.3.26

 

Wikipedia上の定義は「公開恋愛バラエティ番組」。

そして司会は横山やすし・西川きよしです。まだやっさん、横山やすしは干されていません。最終回の時点でも、トラブルはあったかもしれないけど、今で言う紳助みたいな状態にはなっていない、はず。

 

テーマ曲の作曲は当然のごとくキダ・タローです。ま、テストで関西の民放局が作った番組のテーマ曲の作曲はだれだ? なんて問題が出たら、とりあえず「キダ・タロー」って書いとけばいいんですよ。責任は持ちません。

 

収録する場所、つまりスタジオですね、スタジオはABCホールです。今は…使われていないんでしょうね、wikiに載ってる写真とか見ると。生放送ではないです。事前に公開収録している番組です。

 

そんでもってさっき言ったように司会は「やす・きよ」だったんですけど、「愛のキューピット」なるサブ司会がいたらしくて、初代が桂きん枝って人だったらしいんですけど、一度シャブ疑惑で謹慎した挙げ句、無免許運転で逮捕されてしまって今度こそサブ司会をきん枝さんは降ろされてしまうわけです。で、明石家さんまとか、いろいろつなぎ役の人がいて、83年10月になって桂文福という人が2代目キューピットということになります。

それから、高田みづえってアイドルがいたんですね、いたんですよお。桑田佳祐が作った――というよりはじめサザンオールスターズの楽曲だった「私はピアノ」という歌をカバーして、それが高田みづえの代表曲です。この高田みづえという人は、相撲の大関若嶋津と結婚して、ええ、もうガチで相撲部屋のおかみさんになっちゃうのよ、それで引退して、その若嶋津との結婚式をテレ朝が中継したら、視聴率30%超えちゃったの。そういう時代だったんです。

高田みづえプロポーズ大作戦降りた時点では引退してないんだけど、ともかく84年3月に高田みづえ降りるから女性のキューピット枠が空いて、そこにおさまったのが、斉藤ゆう子って人、Dr.スランプアラレちゃんみたいなメガネつけてて人気だったんです、と。彼女はこの番組に出演した縁で、番組の構成作家のひとと一時結婚していたそうです。

 

つづく

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