7話で和田高明はむしろ「演出家」であった
「和田高明=『ロゼッタマスター』」という認識はほんとうに妥当なのかーーまぁ、いったん棚に上げておこう。
先日7話を観て思ったこと。演出家としての和田高明が過小評価されているのではないか。
凝った構図、画面上での遊び……月並みな言葉だ。しかしここ最近、7話は「和田の作画回」というよりも「和田の演出回」という印象が強い。
7話の和田作画がむずかしくなってきたのである。
この話のクライマックス、ロゼッタとそらが、カレイドステージでディアボロバトルをするシーン。
「実によく動いている」云々評価されてきたカレイドスターの和田作画だが、最近ぼくには7話のディアボロバトルの「動く」作画が、しょうじき、よくわからなくなってきた。
しかしながら、7話における和田高明を完全否定しているわけではない。むしろ作画のことばっかり取り上げられてコンテの実に良い仕事があまり取り上げられない和田さんを不憫に思う。
印象批評。カレイドスターの7話の演出は、乾いている。
失職中のロゼッタがマリンパークに連れられていき、ジョナサンに弄ばれるそらの無様な姿を目の当たりにする。そこでマリオンがロゼッタに語りかける。思えばこれも、運命の出会いだった。
それはともかくとして、まさに↑で述べたようなあたりの演出ーーそれをむかしは『音の置き方』なる概念に置き換えていたものだーー、このあたりの演出が、とりわけ「乾いている」と思ったのである。
「キッズアニメに『乾いた演出』もないだろう」とあなたは言うかもしれない。そもそも、カレイドスターには「キッズアニメ」という括りは通用しない。それでも、小学生が視聴者層として一定の割合を占めていることは否定できない。そんなアニメだけれども、驚くほどシックで、「乾いた演出」がまかり通っている……そんなふうに思えた。10代で7話を観た時は、そんなこと微塵も思いもしなかった。